瀬田の唐橋
琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、京都防衛上の重要地であったことから「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と古くから云われており、瀬田の唐橋を巡り様々な歴史がありました。
橋が架けられた時代は不明ですが、日本書紀にも名前が見られる程、歴史は古く、日本三名橋ひとつに数えられます。
壬申の乱の際には、瀬田橋の戦いにおいて大友皇子と大海人皇子の決戦場となりました。
他にも恵美押勝の乱など幾度も戦場となり、破壊と再建を繰り返しました。
また、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太)の
大ムカデ退治伝説の舞台としても知られています。
武田信玄が陣中で臨終の際に、「瀬田の唐橋に我が軍旗を立てよ」と云ったのは有名な話であり、現在でも瀬田の唐橋を中心に南北1kmほどの間にJR・新幹線・名神高速・京滋バイパス・国道1号線と5本の交通の幹線が走っています。
近江八景「瀬田の夕照」で有名でもあります。
江戸時代初期に安楽庵策伝の「醒睡笑」に
武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋
と詠われたことから、「
急がば回れ」のことわざが生まれています。